街は寝静まり、
もすっかり眠りについているころ。サードは暗い部屋の中で一人、机の上に正座をして考え込んでいた。 『どうすれば良いのでしょう……』 ぽつりと呟いた所で答えは見つからない。 横にあった卓上カレンダーを見てみれば、謹慎解除の日がすぐそこまで来ているのが分かる。長い付き合いとなるバディと離れるというのはつらい状況だったが、自分を気遣ってくれる彼女と過ごした日々はどれも新鮮で、ぬくもりのあふれるもの。それも残りわずか。 今のうちに自分の気持ちを言わなければ、もうチャンスはやってこない。だが、どうしてもうまく行かないのだ。 まずメールという手段を考えた。だがそれなら直接言った方が気持ちが伝わるだろう。ありのままを伝えたい。でもなかなか言い出せない。そうしている間に感情だけが募り積もってふくれていく。 『どうすれば……』 その日以来、サードはどこか上の空で一日一日を過ごしていた。何を聞いても曖昧に返ってくる言葉。はそんな彼に首を傾げつつ、前のようにしょげている様子でもないのでそっとしておくことにした。 * 『桐原様、ごく個人的な質問なのですが、宜しいでしょうか?』 アンダーアンカーにて、いつものようにの手を離れたサードは、事務作業をこなす桐原へ唐突に声をかけた。 「なんだサード、お前にしては珍しいな」 サードは他のフォンブレイバーに比べて、自己主張が弱い。そんな彼が自ら個人的にしたがる質問とは、何なのか。キーを打つ手を休ませると、桐原は身構えた。 サードは、『ある男性がいるとします』と前提においてから話し始めた。 『その方は、とある女性と一緒にいるだけで踊りたくなるような気分になったり、彼女が喜ぶ顔を見るにはどうすればいいのか、いつも模索しています』 それがどうしたんだ、と急かす桐原を『ここからが本題です』となだめるサード。 『これは、どういうことなのでしょう。彼は、何を考えているのですか?』 ゆっくり、自分を落ち着かせながら彼は問うた。桐原はその質問に眉をひそめると、「それはどこから拾ってきた内容だ?」と問いで返してきた。 『様が見ていたドラマです。いまいち理解できませんでしたので、桐原様に聞けば分かるかと』 そう言われ、に向けているであろう舌打ちをし、桐原は「はあ」とため息をついた。 「お前に聞かれたことだから一応答えるが、くだらん情報は詰め込んだ所で無駄にしかならない」 それは分かってるな、と念押しし、近くに誰も居ないことを確認してから桐原は声の音量をできる限り落として、その重い口を開いた。 「それは、恋愛感情の類だ」 サードは一瞬思考が停止した。恋愛感情。恋と愛。 『好き、ということ、ですか』 「詳しいことが聞きたいなら麻野にでも聞けばいい。その後どうなってもいいなら、の話だがな」 そう言ってから桐原の表情は青ざめていく。これまでに恋がらみで瞳子に振り回された苦い経験がじわじわと思い出されていったのだろう。彼はそれを振り払うように頭をがしがしとかいた。 「は……聞いても無駄足だろうな」 とんだ言われ様である。あいつに色恋沙汰は無縁だ、と付け足して、桐原は作業に戻った。 * 「今日が最後の夜だね」 『そう、なりますね』 お風呂から上がったはベッドに背を預け、床に座っていた。そのベッドの上にはサードがちんまりと座っている。 早かったなあ、とぼんやり天井をあおぐ。そのままゆっくり深呼吸すると、彼女はサードとまっすぐ向き直った。 「サードは今日までの生活、どうだった?」 『私はとても楽しゅうございました』 笑顔つきの返答に、はほっと胸をなでおろした。 「私も。任務に携わったわけじゃないけど、少しだけエージェント気分が味わえて嬉しかったし、ありがとね」 サードは少し黙り込んだかと思うと、一度その居住まいを正し、かしこまったように『少しお時間をいただけるでしょうか』とにたずねた。彼女は戸惑い気味に頷くと、浮かせかけた腰を落ち着けて座りなおした。 『元の日々に戻る前に、ひとつはっきりさせておきたいことがあるのです』 これは私の自己満足なのですが、どうぞお付き合いくださいませ。最初にそう断って、サードはの承認を確認した。 『それでは様、まずは目を瞑って頂けますか?』 「目? う、うん分かった」 何が起こるのかと不思議に思いつつ、は彼に言われたとおり目を閉じる。あっという間に視界は真っ暗になった。 『私が言うまではそのままでお願いします』 そんな声が聞こえたかと思うと、彼女は唇にひんやりしたものを感じた。それでいて平らな―― (え?) 『これが私の気持ちです』 は口元に手をやり、目をぱちぱちとさせながらサードを見た。その顔は見る見るうちに赤くなっていく。 『できれば、で良いのですが。様の気持ちも聞きたく思います』 サードにそう言われて、は口を開きかけた。だが、言い辛そうに視線を右にそらしたかと思うと、唇をぎゅっと結んでしまう。そのまま数秒黙り込んでいたが、決心がついたのか「あの、その、ね」と歯切れの悪い言葉と共に話し始めた。 「一緒にいる間、私の知らないサードがたくさん見れて嬉しかったし、もっと見たいとも思った」 右に向いていた視線が、サードを見ないよう下へ、そして左に移る。 「とりとめのない会話でも、サードがひとつひとつ反応してくれることが嬉しくて。言葉を交わさなくても、一緒にいるだけで幸せで……」 そこでやっと、は顔を上げた。 「なんて表現すればいいのか分からないけど、私はそういう気持ち」 サードは驚いていた。彼女と自分の感じていたことと全く同じではないか。『私と、同じ気持ちですね』。彼が確認するようにゆっくりそう言うと、は短く息を呑んだ。結果的に、彼はあのような行動でその気持ちを示した。 (じゃあつまり、私は) ああ、なんだ。二人は、自分たちに結ばれたりぼんの意味を、そしてその先に何がつながっているのかを、分かっていなかった。りぼんをたぐりよせて、今やっと自覚したのだ。 信じられないような、夢を見ているかのような気分で、サードとは顔を見合わせる。 「サード、」 自分から呼びかけておいて、は少しためらっていた。「改めて、言わせてほしいの」と小さく言ってからその手でサードを包みこむように持つと、ゆっくりと深呼吸して、口を開いた。 「私も好きだよ」 そして、画面に口付けを落とす。今度は軽くない、想いのこもったキス。 『バディには内緒、でございますね』 どこか照れくさそうに、いたずらっぽく笑うとサードは人差し指を立てて口元に持っていく。はそれに答えるようにはにかんで、その手の中にある温もりを抱きしめた。 深い群青へ沈め (それならばきっと、どこにいても二人で目覚めていられる) |