事件もなく、平和な午後。メンバーはそれぞれ自分の時間を過ごしていて、それはも例外ではなかった。買ってから読んでいなかった本に手をつけたのだが、思った以上にその世界観に引き込まれ、気付けば時間を忘れて読破していた。

 読み終えた本を閉じると、は自身の空腹感に気付いた。セントラルルームなら何かあるだろうと思い、彼女は自室を後にした。


 セントラルルームは誰もいないのか静まり返っていた。キッチンで見つけたマシュマロを数個口の中へ放り込むと、優しい甘さが空腹感を埋めていく。

 彼女が部屋に戻ろうとしてふと、ソファで誰かが横になっているのが見えた。スピーディだ。静かな寝息を立て眠る彼の寝顔を覗き込むと、はくすりと小さく笑みをもらした。

 だらり、とソファからたれた片腕と、床に落ちたものを見るに、雑誌を読みながら眠ってしまったらしい。は雑誌を拾い上げ適当な場所に置き、彼の腕をそっと体の上へと戻してやる。

 一度自室に戻ってから、ソファの背から身を乗り出し持ってきたブランケットをかけようとして、彼女はスピーディのマスクへと目が留まった。

(……気になる)

 そのマスクの下には、どんな表情を隠しているのだろうか。は好奇心に胸を疼かせた。

 しかし彼女ははっと我に返ると、その思考を振り払うようにぶんぶんと頭を振った。正体を知られるのが嫌だから隠しているのではないか。駄目だ駄目だ、とは自分に言い聞かせ、ゆっくり深呼吸した。

 でも。

(やっぱり、気になる)

 結局は好奇心が勝ってしまった。

 うずうずとして震える手を抑えようと、はブランケットを強く握った。そして、もう片方の手はスピーディの目元へと、伸びる。

(少しだけ、ちらっとだけ見られればいい)

 緊張でばくばくと心音が頭の中で響いているような感覚がして、は思わず息を呑んだ。もしかして、周りにも鼓動がもれ聞こえてしまっているのではないか。この音でスピーディが目を覚ますのではないか。そう錯覚させるほどだった。

 ゆっくり、ゆっくり。身を乗り出している状態できつい体制なのも手伝い、手は震えている。しかし、徐々にターゲットとの距離を縮めていた。

(あともう少し)

 刹那、その手を誰かに掴まれ、引っ張られた。

「う、わ」

 予想外の事態には言葉にならない悲鳴を上げバランスを崩し、なだれ込むようにしてスピーディの上へと乗っかってしまった。

 犯人は考えるまでもなくスピーディ自身だ。はばれてしまったことへの焦りと罪悪感、そして自分の状況の恥ずかしさで慌てふためいた。

「い、いつから起きてたの?!」
「さあ、いつからがいい?」

 意地悪そうに問い返され、は言葉に詰まった。きっと最初から起きていたに違いない。しどろもどろになりながらも「ご、ごめんなさい」と彼の上からどこうとするの腕を、再びスピーディが引っ張った。

「え、あの、スピーディ?」
「なんで謝るのさ」
「だ、だって、嫌だったでしょ?」
なら良いよ」

 言ってくれればいつでも見せたのに、とスピーディは笑うと、彼女が気になって仕方がなかったマスクの下をあっさりとさらけ出して見せる。

 自分のこれまでの葛藤や緊張とはなんだったのか――彼女のそんな呆れは、一瞬の内に忘れ去られた。

(こんな、顔だったんだ)

 初めて見た彼の素顔。はその緑の瞳にとらわれてしまったかのようにぼんやりとしていた。だからか、徐々に距離を詰められていることに気付かなかったのだ。

 そして、距離、ゼロ。

 それは完全なる不意打ちだった。スピーディは余韻を味わうようゆっくり、ゆっくりと唇を離すと、こう言い放った。

「あまい」

 真っ赤になったは、にやりと笑う彼の顔に握りっぱなしだったブランケットを押し付けた。




何事にも代償は必要なのである
2010/08/15