隅の席で、彼とテイルゲイトが話しているのにぼんやりと耳を傾けながら、自分の知らない、おそらく彼らの種族では一般常識であろう単語が出てくるたび、はその意味に想像を巡らせていた。

 隣にいるゲッタウェイに尋ねてもいいのだが、それだと「話をしっかり聞いていました」と言っているようなもので、話の場にを置いているのは他ならぬ彼自身であったし聞かれてもいい話のはずとはいえ、ほぼ会話の外にいる彼女にはやはり気がひける。

 今度会ったときにでもノーティカに聞いてみよう、覚えていたら。はこの船で数少ない女性型の彼女の姿を思い浮かべ、言葉の意味についてひとまず完結させることとした。

 そもそも、だ。そんな数々の言葉以前に、はゲッタウェイ自身のことについて分からないことが多かった。スワーブにからかわれるほどにはいつもゲッタウェイと一緒にいる(正しくは連れて行かれている)彼女でも、彼のプライベートなことについてはほとんど、テイルゲイトとの会話の中に出てきて初めて知ったくらいだ。

 ゲッタウェイの考えていることも分からない場面が多いものだから、はたまに怖いと感じることがあった。今だってそうだ。テイルゲイトとこうして話をしているときは一見友好そうに喋っているがには、どこかうまくいきすぎているように、全てゲッタウェイがテイルゲイトの答えを誘導しているように、そう思えてならなかった。

 スキッズと楽しそうに雑談を交わしているときや、目立たない場所でアトマイザーと神妙な面持ちで密談しているときとはまるで違う。もちろん確証は一切なく、あくまでも彼女の感覚の話でしかない。だからこそ誰かに聞けるはずもなく、気のせいだと自身に言い聞かせる一方で、違和感をぬぐうことはできずにいた。

「じゃあねふたりとも」

 テイルゲイトの声でふっと意識を引き戻され、は顔を上げた。見ればどうもサイクロナスが来たらしく、テイルゲイトは彼の元へ行くのだろう。ぱたぱたと走り去っていくテイルゲイトへ手を振りつつ目で追うと、はそのまま、にこにこと彼の背を見送るゲッタウェイへと視線を移した。それに気づいたゲッタウェイは「どうかした?」と笑顔のまま問うてくる。

 今が聞いてみるチャンスなのかもしれないが、言ってもいいものだろうか。少し逡巡したのち、笑い飛ばしてくれるのを期待しながらは口を開いた。

「なんだかゲッタウェイ、こわい?」

 言い切ってしまうことへの躊躇が語尾を上がらせる。が眉間を曇らせたままでいると、ゲッタウェイは右手を彼女の顔の真横へとついた。

「どうしてそう思った?」

 はその瞬間、周りの喧騒がざあっと遠ざかっていき、まるでこの空間にたった二人きりになってしまったかのような感覚に陥った。彼女を見下ろす青い目は、逃げることを許さない。

 ゲッタウェイ。かすかに震える声でその名前を呼ぶ声は、届いていたのか、いなかったのか。何も変わらない状況を前に自分の鼓動の音だけがやけに耳につく。さほど時間は経っていなかったが、心臓がはやく脈打つにはやけに長く感じられた。

「なーんてさあ」

 両手を自分の顔の横で広げてみせると、ゲッタウェイはぱっと笑った。

「どうだった?」
「し、心臓によくない、かも」

 いたずらっぽく言うのはこれがふざけてやったことだからであってほしいと願いつつ、あの底光りする目は振り払えない。しかし怖かったとも正直に言えず、は言葉を濁したが、ゲッタウェイは心臓という単語にぴんと来なかったのか、首をかしげていた。少し間をおいてから「あー、スパークみたいなやつ」と合点が行ったようで、の胸元にとん、と人差し指を置くと、何か考え込むようにじっと自分の指先を見つめていた。変わったはずの空気が元に戻り、は足元がぐらつきそうになった。

「ゲッタウェイ、、そんな薄暗い所でなにやってるんだよ!」

 そんなとき、スキッズの明るい声が二人だけの空間を破ったのをきっかけに、あたりのざわめきが徐々に戻ってきた。

 今行く、と声を上げたゲッタウェイが背を向けてようやく指も離れていった。あの騒がしさがこんなにも落ち着くものだとは。張りつめていた気持ちがゆるむと、はつかえていた息を吐き出した。

「そうだ

 スキッズの方へ向かおうとしていた足を止めたゲッタウェイに、途端に喉がひやりと締めつけられる。

「他の奴にはこのこと言わない方がいいと思うなあ、皆は俺と違うからさ」

 振り返らずに言われたそれに、離れたはずの彼の指がまだ心臓の上にあるような息苦しさが呼び起こされ、は無意識に服の胸元をぐしゃりと掴んだ。今、彼はどんな表情をしているのか、何を考えているのか。やはり何も分からない。逃げられない。

「さ、行こう」

 答えられずにいるに顔を向けたゲッタウェイは『いつもの』彼だった。差し出された手におそるおそる自分の手を重ねるだったが、その身の奥にぽつりと一点だけあった不信の念が、じわりと染み出して彼女の胸を炙りはじめていた。



浸水
2017/10/28