(参ったなー……) 新聞社のエントランスの軒先で、は灰色の空を見上げてため息をついた。降る雨は強く、止む気配はさっぱりない。 雨が振る前、車を持つ友人は帰る際に彼女を誘っていた。「私帰るけど、は? 雨降りそうだし、良かったら送るよ」。それに対しては、仕事を今日中に済ませてしまいたいから、と断っていたのだ。 こんなことなら、仕事は持ち帰りにしておけばよかった。今更後悔しながら、はもう一度ため息をついた。……そうしたところで、雨が止むことはないのだが。 (……仕方ない、ぬれて帰ろう) ついに覚悟して自身の鞄を雨避けに軒先から出ようとしたとき、見覚えのあるスポーツカーがの前に停まった。出しかけた右足をひっこめ、彼女は目をぱちぱちとさせた。 「今お帰りかい、お嬢さん」 「ジャズ!」 「さあ、乗ってくれ」 はその言葉に甘えてジャズに乗り込んだ。 「どうしてここに?」 「少し走るついでに君の仕事場前を通ってみたら、丁度ね」 この大雨の中傘を差さずに出ようとするからびっくりしたよ、と笑うジャズ。はシートベルトをしながら照れ隠しに笑い返した。案外、知り合いに見られると恥ずかしいものだ。 「でもそのおかげで私は風邪引かずに済んだよ。ありがとう、ジャズ」 「これくらいお安い御用さ」 とは言え、何かお礼ができないものか。は少し考え込むと、はっとした表情で「そうだ!」と声を上げた。 「ジャズ、今度の日曜日空いてる?」 「日曜日? ああ、明々後日か。空いてるよ」 「じゃあ洗車してあげるね!」 「? 雨が降ってるから必要ないんじゃ……」 さも不思議そうに言う彼に、はもしや、と首をひねった。 「……雨が洗車になってると思ってる?」 「違うのか?!」 「雨って汚いんだよ、逆に汚れちゃう」 「そうだったのか……」 地球にもずいぶん馴染んできたようだが、まだまだ分かってないことも多いようだ。スマートな彼の印象とのギャップがほほえましく、は小さく笑みをもらした。 「だから日曜日に洗車。決まりねっ」 「楽しみにしてるよ!」 「よし、頑張っちゃうんだから――あ、もうこんな所なんだ」 おしゃべりに夢中で気づいていなかったが、彼女がふと窓を見やると、家まであと少しという地点だった。元々新聞社からさほど遠いわけでもないが、思ったよりも早かったように感じた。さすがジャズ、速いね! そう呼びかけたが返答はなかった。 突如流れる沈黙。どこか不自然な沈黙に、は「どうしたの、ジャズ」と不安そうに尋ねた。 「……ああ、いや、このまま別れるのがなんだか惜しい気がして」 そう言ってからジャズはしばし黙り込むと「いや、今のは忘れてくれ!」と、先ほど言ったことを誤魔化すように、努めて明るくふるまった。 しかしは頼まれたとおりにはできなかった。彼が「忘れてくれ」と言ったことだ。反応すべきじゃないのは分かっている。分かって、いる。それでも。 「……ねえ、ジャズ。私も同じ気持ちって、まだ帰りたくない言ったら、困る?」 ――言っちゃった! は自分の行動ながらパニックになった。自意識過剰だと思われたらどうしよう。きっと呆れられてしまうだろう。そんなマイナスの考えばかりがよぎり、彼女は恥ずかしさやら何やらで頭がいっぱいになった。 「ごっ、ごめんなさいっ、やっぱ今の――」 「まさか! 困るはずないさ」 なしで、と後に続いたはずの言葉はジャズによってさえぎられる。それも、予想外の返答によって。は目を丸くして、うつむけていた顔を上げた。今、なんて? 「嬉しいよ」 そして追いうち。途端に、彼女は赤面していく。 「えっ、じゃ、えっ?」 「それじゃ、雨降りデートへと洒落込みますか!」 そうさわやかに言ってのけるジャズに、は面食らった。 いつもそうだ。同じペースだったはずなのに、気づけば彼のペースに巻き込まれている。ジャズは、ずるい。そう思いながらも、の口元には笑みが浮かんでいた。 最良の選択 (May I ask you out?) 「、昨日迎えに来てたの彼氏?」 「えっ、ちっ、違う違う!」 「スポーツカーなんて乗っちゃって、ずいぶんスタイリッシュな彼なのね」 「もう、ちーがーうー!」 「先輩に彼氏?!」 「だーかーらー!」 2011/09/03 |