空気の澄んだ夜。しいんと静まり返った住宅街の中、いつものようにの元へ行こうとしていたゼロワンは、ある矛盾に悩まされて彼女の家の前でその足を止めてしまっていた。 本来、彼は一人が好きだった。実際の所は一人でいないといけない、と言う一種の強迫観念に駆られた果てに起こしていた錯覚なのだが。――なのに、今こうして、理由もなくの元へ訪れる日々を過ごしている。 『なぜだ』 ぽつりと呟いて、ゼロワンは彼女の部屋の窓を見上げた。きっと今頃は宿題にでも手をつけている頃だろうか。そんなことを考えながら彼がじっと明かりを見つめていると、窓が開いた。 「ゼロワン、そんな所でどうしたの?」 それは他でもない本人だった。どうして自分に気付いたのかと驚いて、ゼロワンは一瞬反応が遅れつつも曖昧に返事をしてみせる。 矛盾を抱えた今、なんだか彼女の部屋に入ってはいけないような気がしていたのだが、が「おいで」と優しく笑うのにつられ、ゼロワンは断りきれずに机へと降り立った。 『よく俺がいると気付いたな』 「なんとなくだよ」 そう言ってから彼女は「ちょっと待っててね、あと少しだから」とやりかけの宿題をやりだした。数学だ。の手が慣れた様子で式を解いていくのを、ゼロワンは邪魔しないように見ていた。 数問解いた所で、はふうと息をついてノートと問題集をたたんだ。 「ごめんね、ゼロワンが来る前に終わらせようと思ったんだけど……」 退屈させちゃったね、と申し訳なさそうにするに、ゼロワンは『いや、気にするな』と返す。かかった時間はそれほどではなかったし、何より本人は気付いてないが、彼は時間を忘れるくらいに彼女の顔を見ていたのだ。退屈であったはずがない。 「でも良かった」 ノートを机の脇によけ、ゼロワンと向き直ったが唐突にそう言うもので、どういう意味かとゼロワンが考えをめぐらせていると、彼女は「ちょっと不安だったんだ」とその後に続けた。 「もし、もうゼロワンが会いに来てくれなくなっちゃったら。私が窓を開けた時入ってきてくれなかったら、って」 の口からそんな言葉が出てくるとは思わなくて、ゼロワンは思わず視線をそらした。そうだ、自分の中の矛盾はまだ解決していなかったのだ。 変だよね、と恥ずかしそうに笑うの一方、彼は再びぐるりぐるりと悩み始めてしまった。表には出していないつもりだったが、それはまるでフリーズしてしまったかのような硬直ぶりだった。そんなゼロワンに、彼女は再び続ける。 「でも、今日のゼロワンもなんか変」 そう言われてゼロワンはどきりとしたが、それ以上は悟られぬよう、努めて冷静に『そうか?』と答えた。それでも彼女はじっとゼロワンを見つめている。気まずい。彼がわずかに視線をそらすと、はいきなりゼロワンを抱きしめた。 『っ……』 静寂の内にある部屋で、ゼロワンの聴覚に響くのは彼女の鼓動だけ。 突然のことで回路が停止しかけそうな彼に、「無理しちゃ駄目だよ」と優しく、寝かしつけるような声で言う。まどろみそうになる中で、ゼロワンはぼんやりと気付いた。 (ああ、そうだ) 自分はこの声が聞きたくて、に会いたくてここに来ているのだ。彼女の顔が見たいあまりに、その他のものが何も見えなくなるほど。 『』 どうしたの、と優しく聞き返す彼女の声が心地良くて、ゼロワンは夢へと沈んだような感覚の中、自身が言いたい言葉を構築していく。 『どうやら俺は、思考に要する一瞬の時間でさえ惜しく思うほどお前と一緒にいたいようだ』 それを聞くと、は一瞬目を見開いた。だがすぐにゆるりと笑みを浮かべると「私もだよ」と穏やかな声で言った。 |