サイドのライトだけを点け、布団の中に入ったまま、学校の図書館から借りてきた雑誌のとあるページを広げるは「はあ、」と息をついた。 『ため息などついてどうした』 自分の顔のすぐ近くで声がして、は思わずのけぞり、雑誌から手を離してしまった。支えを失った雑誌はそのまま閉じられて、間にいた声の主――ゼロワンがページに挟まれてしまう。は慌てて雑誌を開きなおした。 「ごっ、ごめん! 全然気づけなくて……」 『自分の世界に入り込んでいたようだな』 ゼロワンは隙間から彼女と雑誌の間に入り込んでいたようだ。その時点でも彼の存在に気づけなかったほどだ。よほど内容に気をとられていたのだろう。 それほどまでに彼女の関心を引くその内容とは。ゼロワンは再び開かれた問題のページに視線を落とした。 『「夢を思い通りのままに」、か』 「寝ている間の脳波をいじるんだって」 大きなタイトルから目線を横にずらすと、「夢は無意識からのメッセージ」という小見出し。 夢。無意識の存在が生み出すもの。人間はつらい記憶や苦悩の経験、または許されない感情などといった、自分が正面から向き合うことのできないものの存在を意識から排除する。その抑圧された観念が無意識だ。 彼はたまに夢のようなものを見ることがあった。 まとわりつく暗い闇から這い出ようと必死にもがいていて、視界の端には自分の破壊したきょうだい達の姿がちらつく。いつもその繰り返し。 (やはりあれは夢なのか) あれは自分の抑圧した世界の正体なのかもしれない――。ゼロワンは苦しさにひっそりと表情を歪めた。 「大丈夫?」 彼はの不安げな声でふと我に返った。 「夢のことで何か嫌なこと思い出させちゃった?」 『いや、大丈夫だ』 彼女にあのことを言ったら……。 『は、夢をどうしたい』 脳波をいじったところで無意識から解放されるはずはなく、夢を思い通りにすることは不可能だ。そのことは記事の最後にもはっきり記述されている。にもかかわらず、彼女は食い入るように一文字一文字を読んでいた。それほど見たい夢があるのだろう。 は視線を泳がせつつ、「大したことじゃないんだけど」と前置きしてから口を開いた。 「一日の中でゼロワンと一緒にいられる時間はすごく短いでしょ」 『それに、毎日というわけでもないな』 だから、ね。はゆっくり続ける。 「……夢の中でもゼロワンと一緒だったらな、って思って」 それを聞いてゼロワンはどきりとした。寝ている間でさえ彼との時間にしたいと言う。それはずっと自分といたいということなのか。ゼロワンがあれこれと考えていると、は恥ずかしそうに続けた。 「二人で夢が共有できたら、夢の中で会ってるみたいなんだけどな」 『それは思い通りの夢を見る以上に難しいな』 「だよねえ」 は残念そうにため息をつくと体を起こし、雑誌を閉じた。明日返してくるのだろう、それを学校の鞄に入れながらは言う。 「もしできたら、普通の世界みたいに夢の中での出来事を二人で分かち合える。その美しさも、楽しさも……恐怖も」 ゼロワンは最後のその一言にはっとしての背をじっと見つめる。振り返った彼女は少し悲しそうな笑顔を浮かべていた。 「ゼロワンが怖い夢を見ても、二人一緒だったら大丈夫かもしれない」 彼が夢で悩まされることがあるのを、は知っていた。偶然だったが、彼が寝言を発したのを聞いてしまったのだ。 追い込まれたような苦しそうな声。それを聞いていることさえつらく、彼女は何もできないことが悔しかった。だからせめて、その苦しさが分かってあげられたら――。そう考えていたのだ。 ゼロワンも、がどうしたいのか理解した。 (俺のためなのか) 普通、進んで悪夢を見たがるものはいない。それなのに彼女は、ゼロワンのために一緒に苦しみを受けると言ってくれた。 実際に夢を共有することはできない。だがゼロワンには、彼女のその言葉だけ、思いだけでも充分嬉しかった。 だから余計、巻き込みたくなかった。 『……お前が心配しなくとも平気だ。あの位どうってことはない』 俺を誰だと思っている、とゼロワンが言うと、はきょとんとした。だがすぐにふっと柔らかい表情に戻ると、「そっか」と一言。 が再び布団に入り込もうとすると、ゼロワンは枕の辺りから飛びのいて机に移動する。そのまま窓から出て行こうとする彼を、は慌てて引き止めた。 「あの、ゼロワン」 『なんだ』 「一緒に寝よう」 ゼロワンは予測不能の事態に一瞬思考が止まった。言った本人を見てみれば両手を差し出している。 正直、願ってもないことだった。ゼロワンは浮き立つ心を抑え、わざとらしく咳を一つすると『ま、まあいいだろう』と顔を背けたまま言った。 『お前の望みを受信してやる。ただし、俺を潰したら圏外だ』 「そ、そんなことしないよ!」 彼は彼女の手の中におとなしく収まった。は布団にもぐりこみ、寝る体勢になるとゼロワンと向き合うようにする。 「じゃあ、お休みゼロワン」 『あ、ああ』 そう言って彼女はライトを消し、目を閉じてしまったが、その手にやわらかく包まれたゼロワンはじっと、全感覚を研ぎ澄まさせていた。 伝わる温もり。ゆるやかな吐息。一定のリズムを刻む心音。全身で彼女を感じるその場所は、妙に落ち着くものだった。回路は熱を持つ一方でゆっくり、ゆっくりと落ち着いていく。 (今日は、あの夢は見ないかもしれない) 意識がふわふわとしていくその中で、ゆるく握られた手から脱すると、ゼロワンはぴたりとにくっついた。 (これならと一緒の夢を見られるだろうか) らしくもないことをするものだと思いつつも、ゼロワンはそのまま眠りに落ちていった。 |