『網島ケイタ、一つ頼みがある』
「頼み? 珍しいじゃん。どうしたのさ」
『大したことではない。だが……』
「だが?」
『このことは他言するな』

 いいか、絶対だ。そうすごむゼロワンにケイタは情けなくも無言で頷いた。



瀕死のリテラシー、答えを望む。



 バレンタインデーを名目に開かれたお菓子パーティから帰ったが自室に戻ってすぐ目に入ってきたのは、ベッドの上のクッションでくつろぐ黒いケータイ、ゼロワンの姿だった。

 は一瞬驚いたようだったが、その嬉しい来客に頬を緩ませるとドアを閉めた。

「ゼロワン、いつ来たの?」
『さっきだ』
「ごめんね、少し出てて……」
『構わん。俺が勝手に来ただけだ』

 がマフラーを取り、コートを脱いでハンガーにかけている間に、ゼロワンは立ち上がって机の上に移動する。がベッドに座ると丁度目の高さが合って話しやすいのだ。

 彼女は鞄から数個の小さな包みを出すと、それらを机のすみに置いた。ベッドに腰掛けたはふと、ゼロワンの視線が包みに行っていることに気がついた。そんなに不思議なものに見えるのだろうか。

「中身はチョコレートだよ」

 そう言われてはっと我にかえるとゼロワンは『もらったのか?』と問うた。

「うん、友達から。私もあげたんだけどね」

 友達からもらった――その言葉を認識すると、その意味を自分の中で解釈していく。だがゼロワンは、出た結果を飲み込めなかった。

(そうだったのか……)

 ホワイトデーはどうしよう、と楽しげに呟くの横顔をじっと見つめながら、ゼロワンは呆然とした。

(完全に情報不足だ。まさかそんな相手がいたとは……いや、「友達」と表現しているということは……だが待て、ホワイトデーに返すものを考えていたな。ということは……)

 本人に聞かず、勝手に考えを進めるゼロワン。思考しすぎてボディが熱を持ってきているのにも気づいていない。

「それでね……、……ゼロワン? 大丈夫?」

 がゼロワンの前で軽く手を振った。そこで彼ははたと我に返り、『な、なんだ』と落ち着かない様子で返事をした。

 真実を問いたい。でも返答が怖い、聞きたくない。そんなジレンマの中、ゼロワンはの顔を見た。

「ゼロワンはチョコ食べられないし、どうしようか迷ったの」

 は少し腰を浮かせると、手を伸ばして机の引き出しを開け、何かを取り出した。

「ごめんね。私、これしか思いつけなくて……」

 困ったように笑う彼女の手の中には、SDカードの入ったケース。確かの携帯にはすでに入っていたと思ったが、と記憶を探った所でゼロワンはある事実にたどり着き、顔を上げた。

『俺に、か?』

 は恥ずかしそうにゆっくり頷く。

「microSDだよね。容量はこれで良かった?」
『あ、ああ……』

 予測していなかったの展開に戸惑いを隠せないながらも、彼女の手からケースごとSDカードを受け取ると、ゼロワンはそれをじっと見つめた。

が、この日に、俺のために……)

 彼女が自分のために悩んでくれ、特別意味のある日にそれをくれた。正直、嬉しくてたまらない。だが、その気持ちをどう表現すればいいのか分からない。ゼロワンはひたすら言葉を探した。

「気に入らなかった?」
『い、いや! そうじゃない。……ただ、このようなときはどう言えばいいのか分からないだけだ』
「何にも言わなくていいよ。ゼロワンが喜んでくれれば私はそれで嬉しいから」

 は「ね?」と優しく微笑んだ。ゼロワン自身は、彼女が喜んでくれるならそれでよかった。望ましい反応ができない自分が憎い。

 ふと、ゼロワンは忘れかけていたことを思い出した。そうだ、自分は何のために今日ここへ来たのか――

。机の左の引き出しを見てみろ』
「引き出し?」

 左は、さっき彼女がSDカードを取り出したのとは反対の引き出しだ。何だろうか、とは言われるとおりに引き出しを引っ張り、その中を見て驚いた。

「これって……」

 それは少し荒っぽいラッピングの小さな包み。「私に?」と目でたずねると、ゼロワンはやや視線をずらしながら頷いた。はそのリボンを解いて中身を見ると、ぽつりともらした。

「私が食べてたの、覚えてたんだ……」
『どういうものを選べばいいか分からなかった。それで、お前が食べていたのを思い出してな……』

 それはコンビニでも売っているような、小さいチョコレートだった。だが、数個入っているそれらの種類は全てが好んでよく食べていたもの。「これが好きだ」と彼に言ったことはない。ゼロワンが自分を見ていてくれたということが彼女の心をじんわりと温めた。

 そして同時に、ふとあることに気がついては「もしかして、」と声を上げる。

「これって逆チョコ?」
『べっ、別にそのつもりじゃ……! 俺はただ、には世話になっているからこの日を名目にと……』

 逆チョコ。日本のバレンタインデーは女性が男性にチョコレートを渡すが、逆に男性が女性にチョコをあげようという、菓子メーカーが今年からはやらせようとしているイベントだ。ゼロワンはおそらくネットでその情報を得たのだろう。

 彼のうろたえる様子にくすりと笑みをもらすと、は机の上のゼロワンを抱き上げた。

「ありがとう、ゼロワン。チョコをくれたことも、私を見ていてくれたことも嬉しいよ」 
『本当か』
「うん。私の本心」

 その言葉に一瞬舞い踊りそうになったが、先ほど考えていたことがよみがえる。ゼロワンは気持ちをぐっと抑え、冷静に尋ねた。

『だが、は両思いの相手がいるんだろう』
「え、どこからそんな話がきたの?」

 はきょとんとすると、ごく不思議そうに質問し返す。今度はゼロワンが『え』ともらす番だった。

『じゃあ、そのチョコは……』
「友チョコだけど……友達って、女の子だよ」

 ゼロワンは頭を殴られたような衝撃を受けた。まさか、自分の知らないものがあっただなんて。

『人間は理解しがたいな……』
「そういうものだよ」

 驚き呆れるゼロワンに、は「結構色々な人にあげるんだよ」と苦笑して返した。

「でも、ゼロワンのは『本命』」
『……』

 本命。言葉の定義では「最も望んでいる対象」が一番近いだろうか。つまり、どういうことだ。ゼロワンが考えをめぐらせているとはその沈黙を破った。

「あのー、つまり、一番好き、ってこと」

 なんだか歯切れの悪い言葉だったが、その意味は十分通じた。『ああ、成る程』と呟いた後少々間があったかと思うと、ゼロワンの機体は再び熱を持った。




「ところでこれ、どうやって買ったの?」
『……秘密だ』  

2009/02/14