『』 機械質な声に呼ばれて、制服に着替えていたは手を止め振り返った。そこには四肢のついた黒いケータイ、ゼロワンの姿があったが彼女は驚くまでもなく「どうしたの、ゼロワン」とのんびり返す。彼女にとってはそれがもう日常のひとつになっているのだ。 『いつも思っていたが、お前は世の中に不満なことはないのか?』 「今はないかな。いつもいつも、平凡だけど」 あ、でも。そう付け足すとは再びボタンに手をかけながら口を開いた。 * ――大雨洪水警報の出ていたとある日、ゼロワンは雨のしのげるその場所でじっと天気が静まるのを待っていた。 「あの……」 とにかく不覚だった、と彼は後に言っている。ゼロワンは人間の気配に気づかず、少女に存在がばれてしまったのだった。互いに一歩とも動かない状態が続いていたのだが、先に行動を起こしたのは彼女の方だった。 「家の中、どうぞ」 ゼロワンはあっけにとられながらもつい、うなずいた。少女は微笑むと彼を持ち上げ雨が入らない家の中へと連れて行ったのだった。そして慎重に水を拭いたり充電用のコードを探してきたり。歩くケータイに疑問を持たないのか、と不思議に思いながらも彼は流されるままに少女の好意を受け取った。一番不思議なのはそんな自分自身だというのも気づいていたが。 『ひとつ聞きたい』 「なんでしょう?」 『お前はケータイが喋る上に歩くことに対し何も思わないのか』 少女の部屋の真ん中に置かれた小さい机の上から彼女と向き合うゼロワンはようやくたずねた。そういえば、と彼女はしばし考え込んでから口を開いた。 「そう言われればたしかに、不思議だね」 彼女の表情はいたって真面目。ゼロワンはうまく理解ができない、と言葉を失った。 それが二人の出会いだった。その後も少女――はゼロワンに休息の場を与えた。彼は夕方に訪れ、彼女が学校へ出るのと一緒に出て行く。はゼロワンが何をしているのか問いただすことは勿論話題に出すことさえなかった。まるでぬるま湯だ、と彼は思っていたが結局それにつかったまま。可笑しなことだと気づきつつも、自分のやっていることをに話すのはどこか怖い。何よりも、彼女のもとを離れる気になれなかったのだが。そのわけを彼は知らない。 * 「今はこの時間がとても好き。ゼロワンと一緒にいて、一緒にお話しする時間が」 ふわりと笑ったはいつの間にかネクタイを結び終えていて、今はもうベストに腕を通しているところだった。彼女は何を言ったか、と一方のゼロワンはうまく理解ができずに腕を組んで考え込む。そして、言葉が見つかったのか顔を上げた。 『確かに、俺もが好きだ』 ああなるほどこれだと納得する反面、彼はまたひとつの疑問が生まれたのを感じ取った。「好き」とはどういうことか情報を辿っていく。自分の思いに一番近い言葉は「恋」。自分は人工知能を備えた携帯電話、相手は人間。そんな馬鹿な、とゼロワンは一人で顔をしかめた。 返ってきた言葉が予想し得ないもので、言われた本人のは驚いて目をぱちぱちとさせた。ちょっとずれてるよ、ゼロワン。彼女は小さく笑いながら「リトラクトフォーム」と声をかけてゼロワンの変形を促した。彼は引き続きあれこれ他の言葉を探しながらそれに従う。 身支度を済ませたは鞄を肩にかけるとモバイルモードになったゼロワンをそっと手に取り、やさしく口付けを落とした。 「私も好きだよ、ゼロワン」 の声を聞いて不意に、ゼロワンは全てがはっきりとするのを感じた。彼女は彼女で、ようやく自分の思いを受け止めたのだった。 |