イグドラシルの一番の仕事というのは、デジタルワールドに大きな異変が起きた時に対処することである。とはいえ、そういつもいつも異常事態が起きるわけではない。 「平和だね」 Let's take a teatime. 宙に浮かぶ、球体をくりぬいたような形の椅子に深く座り込み、はゆるゆると長い息を吐き出した。目の前にはデジタルワールドのあちこちを映したモニターが浮いている。 「退屈そうだな」 「することがないからねえ……って、いや、何事もなく平和なのが一番だよ!」 あわてて弁解する彼女に「分かってる分かってる」と笑うのはデュナスモン。彼とは、がイグドラシルになる前から話していたこともあってか、すぐに打ち解けていた。 「……お茶でも飲も」 椅子からひょいと降りて、モニターのある空間を出て行く。この樹の中というのは大変便利なもので、イグドラシルが創造したままに変化するのだ。 はまず、ベッドのある部屋を作った。思いのままに作れるからといって、天蓋つきのクイーンサイズのベッドを、というわけではなく、リアルワールドで使っていたのと酷似した、ごく普通のシングルサイズ。「ゆっくり寝られるのは慣れたベッドだし」とのことだ。 次に調理場を作った。望んだ食材が出てくる冷蔵庫。どこからくみ上げてるのか分からない水道。そしてコンロに流し。そもそも、イグドラシルとなった彼女は、水分さえ摂取すれば食糧をせずとも生きていけるのだが。所詮は自己の欲を満たすための行為であり、何の糧にはならなかったが、はたまに「食べる」ということをしていた。 やかんでお湯を沸かしていると、何やら外が騒がしくなってきた。は火を一番小さくすると、隣の部屋、つまりモニターのある空間を覗いた。 「ああっ、イグドラシル! お茶ならこの私が入れますから!」 あたふたとした様子で言うのはロードナイトモン。どうやら騒がしさの原因は彼とデュナスモンとの「神にそんな雑用のようなことをさせるなんて」という言い合いらしい。 「いや、そんな、これくらい自分でやるから平気だよ」 「火傷でもしたらどうするんです!」 神というよりは子供のような扱い。過保護すぎないか、とが言葉を失っていると、デュナスモンが二人の間に入った。 「、オレはこれといった味覚のセンスがあるわけじゃないが、こいつの淹れた茶はうまい。任せてみたらどうだ?」 「デュナスモン!」 「えっ、ロードナイトモンはこういうの得意なの?」 それを聞くなりはぱっと目を輝かせた。ロードナイトモンは余計なことを言ったデュナスモンを小突きつつ、「はあ、まあ……」と曖昧に返す。 「そうなんだ! じゃあそれならお願いしちゃおうかな」 他でもないイグドラシルからの頼み。最初は唖然としていたロードナイトモンだったが、だんだんとその使命感に燃えてきたのか、「お任せください!」と頼もしげに答え、すぐさまキッチンに飛び込んだ。 「そっか、皆も紅茶飲むんだね」 「ああ、たまにな」 するとはじいっとデュナスモンの顔を見つめた。 「ん、どうした?」 「皆ってどうやって飲んだり食べたりするの?」 「……秘密だ」 神の好奇心は尽きることがない。逃れられない眼差しにデュナスモンが冷や汗を流していると、準備ができたのか、ロードナイトモンがティーセット一式を持って出てきた。「あっできたんだ」とようやくの追求の視線がそれ、デュナスモンは安堵の息をついた。 「どうぞ」 「ありがとう」 はデュナスモンから紅茶が出されると、まずその香りを楽しんでから砂糖を入れた。 「イグドラシルからの命だから張り切ったものの、お口に合うだろうか……」 「ナルシストなお前らしくないな。こんな時くらいは自信を持ってもいいと思うぞ」 デュナスモンの口から何か余計な言葉が聞こえた気がするが、イグドラシルの手前、ロードナイトモンはぐっとこらえた。そんな二人がひそひそと会話をする中、はカップに口をつけ、まずは一口。ロードナイトモンとデュナスモンはごくりと息を呑んでその様子を見守り、彼女の言葉を待つ。果たして、神の反応は―― はその一口をじっくりと味わい飲み込むと、ぱっと顔を顔を上げた。 「……おいしい!」 飾り気のない一言だったが、それは心の底から思っているのが伝わってくるものだった。加えて、感激のあまりにきらきらと輝く目。 「すごいんだね、ロードナイトモン! 私、こんなにおいしい紅茶初めて!」 「い、イグドラシルにそう言っていただけて誠に光栄!」 ロードナイトモンは、がここまで自分の入れた紅茶を気に入ってくれるとは予想しておらず、子供のように感動する彼女をぼんやりと見つめた。 「ほら、オレの言ったとおりだったろ」 「ああ……」 いまいち神らしくないというか、なんというか。ロードナイトモンはふと、今こうして「どうやったらこんなにおいしくなるんだろう!」とはしゃぐが「洗礼」の時言っていたことを思い出した。 ――「イグドラシル」じゃなくて「」として認識してほしい 今こうして目の前にしている姿が、「」そのものの姿のだろうと感じた。だが、間違いなく彼女は神なのだ。絶対的「聖」の存在でありながらも親しみのあるに、ロードナイトモンは気づけば好意を抱いていた。勿論、忠誠の精神も忘れてはいない。 「ロードナイトモン、これからもお茶、淹れてくれる?!」 「――勿論です、わが主」 は、Yesの返事がもらえたことと、ロードナイトモンに初めて名前で呼んでもらえたこととに喜びの笑みを浮かべた。 |