いつからか、という明確な始期は分かっていなかったが、彼女の様子がおかしいことは誰から見ても明白だった。 やるべきことはきりんとこなすが常に上の空、といった感じで、話しかけられない限り自分から言葉を発することもない。 「、さっきから体調が悪そうだが大丈夫か?」 「え? あ、うん……」 デュナスモンに声をかけられてもこの様子。いつものはきはきとした声はどこへやら、ぼんやりとした声色で曖昧に返している。 「ここはオレに任せて、少し外の空気でも吸ってきたらどうだ?」 恐らく、「今日は休め」と言っても彼女は聞かないだろう。 「でも……」 「最近こもりっぱなしだったろ。クレニアムモン、今手は空いてるか」 「空いてるが」 「大丈夫とは思うんだが、一応ついてってくれないか」 クレニアムモンは無言で頷き、デュナスモンに背を押されたについていった。 が向かったのは世界樹の上方部、デジタルワールドが見渡せる場所だった。巨大な崖のように見えるが、そこは樹の一本の枝にすぎない。 ふらり、ふらり。ユヅリの足取りはどこかおぼつかない。そのまま枝の先へと歩を進め、地へと落ちていってしまうのではないかとさえ思わせる。 「イグドラシル、足元に気をつけてください」 「あ、うん」 それまで完全に注意が散漫していたのだろう、クレニアムモンに話しかけられてはっとしたはそこで初めて足元を見て「うわ」と小さく声を上げると後退さった。 彼女はしばらくぼうっと虚空を見つめていたかと思うと、ゆるゆるため息をついた。そしてそのまましゃがみこむと膝を抱えた。 「……ごめんね。私がしゃっきりしてないから皆に心配かけてるの、分かってるんだ」 まさか自身からその話題に触れるとは思っておらず、クレニアムモンはわずかにうろたえた。彼はなんと返答すればいいか分からず、「それは、その、」と言いよどむ。 「何か、我々に原因でも……?」 やっと出た言葉に、は首を横に振る。 「皆は悪くない。私一人がうじうじ悩んでるだけ」 「そう、ですか」 彼にはこれ以上深く立ち入ったことは聞けなかった。今ではたまに「」と名前で呼ぶこともあるが、それでも彼にとって夕弦は絶対的な主であったからだ。 はしばらくまた黙り込んでいたが、ふと口を開いた。 「私は、『善』だと思う?」 その短い問いへの返答を待たず、彼女は続ける。 「絶対的な正義なんてない。それは分かってる。でも周りから見て、どうなのか。間違った方向へと進んでいないのか」 それが、の調子を狂わせていた原因の招待だった。 イグドラシルの名を受けた初めこそは、彼女も自身の信じる道をまっすぐ進んでいた。しかし、もはや神の地位にいるのが当たり前となっていて感覚が麻痺してきたのか――いや、その答えも彼女には分からずにいたのだ。そのこと自体が怖くて、は思わず頭を抱えた。 「それが、怖くて」 頼りなさげに呟かれた声は風の音に混じってすぐに掻き消える。そのまま、静寂が訪れた。 「――我々にとって、あなたが善か悪かなど、もはや問題ではありません」 静寂を破った、はっきりとした声には顔を上げた。 「イグドラシルを、あなた自身を信じているから、ついていく。それだけです」 そうか、とは一つのことに気付かされた善悪に絶対的なラインを引くことは無理だ。しかし、彼女が世界における判断の基準となる以上、揺らぐようなことはあってはならないのだ。 「……ごめんね、クレニアムモン」 「いえ、出すぎた真似をしました」 そんなことないよ、と言うとは立ち上がってスカートのほこりをはたいた。 「私がこんな状態だとまたデュークモンに怒られちゃう」 最後に頬を両手でぱちりと叩いて、はくるりと振り返った。 「帰ろう。ちょっと休みすぎちゃった」 そう言って彼女はいつもどおりの笑顔でそのマントを翻した。 そのままの笑みをたたえてくれるならば、自分は悪にでもなろう。その言葉を心に、クレニアムモンはその場を後にした。 優しい目隠しを |